朝5時。宇検集落の山の向こうに白と青の鮮やかな光のグラデーションが現れた。今日は9月13日(日)、宇検集落の豊年祭の日である。
宇検村には14の集落があり、この時期、さみだれ式に豊年祭が開催される。残念ながら、台風の影響でいくつかの集落の豊年祭は中止のやむなきに至ったが、今日は天気に恵まれそうである。
豊年祭は、正確には「敬老会と豊年祭」なのだが、まとめて「豊年祭」との呼び方が一般的である。宇検集落の豊年祭は今年で101回目という長い歴史を持っている。集落内だけでなくほかの集落からも見物人が訪れ、なかには、このために都会から帰省する出身者もいる。唄や踊りや相撲、そして、なつかしい人との出会いもあり、人々は極上(ごくじょう)の時間を味わうのである。
土俵を囲むように席が設(しつら)えられ、敬老会員や見物客などおよそ150人が今か今かと待ちかまえている。まず、高田浩志 集落の区長が挨拶を述べる。数か月前から準備で大わらわだった高田区長は今日を迎えられて感無量である。
挨拶によると、集落の現在の人口は90人余り(42世帯)、高田区長が生れた昭和35年は400人(85世帯)だったとのことである。敬老会員は73歳以上と決められており現在は20人、最年長は96歳の女性である。「これからも長生きして後輩たちを導いて欲しい」との高田区長の挨拶である。参加者一同の思いでもあろう。
敬老会は、唄者による島唄や婦人部の八月踊り、若者たちのダンスのパフォーマンスが続き、酒も入った見物席からはやんやの喝采である。出演者は連日連夜の練習の成果を遺憾なく発揮していた。そういえば、出演者もさることながら、テント張りや土俵の整備など、1週間前から懸命に準備してくれた皆さんにも敬意を表したい。
ところで、敬老会の今年の新入会員も芸を披露することになっている。だが、新入会員は男性1人である。そこで、1人では寂しかろうと近隣の集落に住む同級生たちが応援に駆けつけてくれた。そして、皆で踊ったのが、西城秀樹の「ヤングマン」である。男性3人、女性5人が西城秀樹の歌に合わせて土俵の下でリズム良く動き回った。なかには、腰を痛めて杖をついての男性もいたがみごとに「YMCA」のパフォーマンスを為し遂げた。新入会員たちは昭和29年生まれ、西城秀樹は昭和30年生まれと両者は同世代である。昭和54年に発表された「ヤングマン」は、当時、25歳前後だった新入会員たちの青春の応援歌だったに違いない。なお「YMCA」とは「Young man can do anything」の略とのこと。実は初めて知ったえびおじさんである。敬老される立場になってもまだまだ頑張ろうとのことだろう。しかし「三歩歩くと忘れます」と書かれたお揃いのTシャツも決まっていた。
敬老祭のあとは相撲大会である。奄美の祭りに相撲は欠かせない。各集落に必ず土俵がある。奇(く)しくも大相撲秋場所の初日に開催された宇検集落場所である。ちびっ子たちから若者まで大いに盛り上がった。そういえば、大相撲秋場所の幕下優勝は奄美市住用町出身の伊波<いなみ>だった。
夕方。豊年祭もそろそろ終盤という頃になって天が見計らったように猛烈な雨が襲ってきた。雨は数10分で収まったがテントに水が溜まってしまった。裸の若者たちが下から棒を突き上げて水をどけるさまは力強く頼もしく思った次第である。
暗くなり豊年祭はお開きとなったが、今度は土俵の横で反省会と称する二次会が始まった。酒もかなり回っている。明日は仕事で忙しい、今日中に帰れればいいのだが・・・。 <えびおじさん>

旭日旗のような、光の芸術 ?







ヤングマンたちによる「 ヤングマン ♬ ♬ 」



未来の横綱 すでに貫禄たっぷりである


近所の方からの「油そうめん」の差し入れ。呑んだあとの締めにはいちばん
