お昼どき、うどん屋に並んで待っていたら、後ろにいた4~5歳くらいの女の子から「じいちゃんは〇〇〇にするの?」と話しかけられた。〇〇〇は聞き取れなかったがメニューのことだったのだろう。その子は見知らぬ子である。当方、びっくりしたが、一緒にいた女の子の母親も驚いたようで、その子をたしなめていた。母親の注意におかまいなしの女の子はにこにこしながら「じいちゃんとは知り合いだよ」と応じていた。
女の子は夢見心地に誰かとまちがえたのだろうか。いや、輪廻転生。ひょっとしたら、前世で、じいちゃんと孫の間柄だったのかもしれない。そして、うどん好きのじいちゃんと孫は時おりうどんを食べに出かけていたのかもしれない。それなら、先ほどの会話は合点がいく。春の午後の不思議なできごとである。ちなみに、この日は「かけうどんの大盛」にした。女の子が何にしたかは確認できなかった。ところで、女の子にしてみれば、えびおじさんは「えびじいちゃん」だったのだ。これには少しばかりショックではあったが・・・
四季が二季になると言われて久しい。温暖化が進むと、春と秋がなくなり夏と冬だけになってしまう、というのだ。以前は、きっちりとはいかないまでも、1年12カ月は4分割されていた。しかし、温暖化が顕著になってずいぶん変わった。春と秋は1カ月ずつ、夏は6カ月、冬が4カ月というのがえびおじさんの身体感覚になっている。
さらに、ここ数年は春と秋はもっと短くなってしまい、無いに等しいくらいである。やっと冬を脱したと思ったら、春の喜びを味わうまもなくすぐに暑くなってしまう。すでに二季状態ではないか。
当然のことながら、植物にも影響がある。以前は、春の花は、梅、桜、つつじ、藤の花の順に咲くものだった。あらゆる花に先んじて咲く梅は、現在も変わらずトップだが、残りの3つの花は順番が無くなりほぼ同時に咲くようになった。しかもこれまでより咲く時期が早い。
北国ではさまざまな花が同時に開くという季節のニュースに驚いたものだったが、今や南の国もそのようになってしまった。少々<いや、かなり>不気味である。自然に狂いが生じている。
二季になると、半世紀前のヒット曲「四季の歌」はどうなることだろう。「春はあけぼの」と詠った清少納言もとまどうことだろう。季語辞典の分類も変わるかもしれない。いずれ、「春」とか「秋」って何のことという事態が起きるかもしれない。
地球温暖化は罪深く今後も数百年単位で解消されることはないだろう。もはや、一線を超えたという説もある。未来は常に明るいと信じて豊かさや便利さを追求してきたえびおじさんたち世代の罪である。うどん屋で出会った女の子たちに負の遺産を残しつつある。
今年は4月にして早くも梅雨前線らしきものが奄美付近に停滞して雨をもたらしている。しかし、梅雨入りの発表はまだない。いつもなら奄美の梅雨入りは5月10日前後なので、今年は1カ月も早く梅雨の様相になっている。この調子だと夏も早くやって来るに違いない。大雨や台風の季節到来。甚大な被害が出ないことを祈るのみである。 <えびおじさん>
「春眠暁を覚えず」という言葉に象徴されるように春の眠りは心地よい。いつまでも寝ていたいものである。しかし近頃は眠りが浅くなってしまった。これは、春が短くなったせいではなく年齢によるものだろう。同世代の友人に言わせれば「人生の春が終わってしまったのだ!」とまことにつれないのである。「では、どの季節なのか?」と問うと「冬では悲しすぎるので、秋、それも初秋ということにしよう。初秋は気持ちいいゾ」とのたまう。
宇検村の田検集落