同窓会で久しぶりに再会した女性が「米びつの中から、前の日に失くした財布が出てきた」と告白した。「財布が米びつに勝手に歩いて行くはずがない。これは間違いなく人間のほうの落ち度だ」と一同大笑いしたものだったが、最近のえびおじさんは他人のことは笑えない。
「覚えない、忘れる、思い出せない」といった「記憶にございません3か条」に加えて、近頃は「勘違いや思い込み」などのボケが激しい。帰宅して玄関のカギを差し込んだまま翌朝になって気づいたり、メガネを額(ひたい)に載せてメガネを探したり、はたまた、同じ週刊誌をもう一度買ってしまったりと、ボケぶりがハンパないのである。
先週はなかなかの「アレはどこへ行った事件」を起こしてしまった。
早朝、奄美大島・宇検村の宇検集落から奄美空港に向かった。鹿児島行きの便に乗るためである。地図をご覧になったらお分かりになると思うが約90キロの道のりである。空港前の駐車場に車を停めて奄美空港に歩いて向かおうとしてハタと気づいた。ショルダーバッグがないのである。ショルダーバッグの中には仕事用のスマホと個人用のガラケーが入っている。
「アレはどこに行ったのだろう」(どこに忘れたのだろう、が正しい)記憶をたどってみる。途中で立ち寄ったのはコンビニだけである。しかし、ショルダーバッグの画像がコンビニでの記憶の中に出てこない。落ち着いて、よ~く考えてみる。出かける前に、部屋の隅に片づけた布団の上にショルダーバッグを置いた覚えがある。
空港の公衆電話から養殖場のえび兄さんに電話してショルダーバッグを探してもらうことにした。久しぶりの公衆電話である。最近の若者は公衆電話の使い方を知らないらしい。今度、教えてやろう・・・ いやいや、そんなことを考えている場合ではない。
20分後、再び、公衆電話に向かう。「ありましたよ!布団の上に」。えび兄さんの明るく優しい声である。えびおじさんの不始末をなじるような様子は微塵もない。いい男だ、今度、ビールをおごってやろう。えびおじさんの記憶に間違いはなかったのだ(なんの自慢にもならない)
しかし、飛行機の出発時刻を考えると、今さら、取りに戻ることはできない。ショルダーバッグは宅配便で鹿児島に送ってもらうことにした。
これで一件落着したと思ったのもつかの間、天気が思わしくない。奄美空港が濃霧に覆われている。このため、やって来るべき飛行機が着陸できず、乗るべき機体がないのである。しばらく待ったが、結局、飛行機は欠航となり、このあとのダイヤもはっきりとした見通しがつかないとのことである。
さて、どうしたものか。飛行機は期待できない。加えて、このご時世、携帯電話がないと誠に不便なのである。思案の末、この日の飛行機は諦めて宇検村に戻ることを決意した。再び90キロのドライブである。このさまざまなトラブルをどう受け止めていいものか。日頃の行いの悪さだろうか。自分の落ち度と天気を呪いたくなる。
宇検村に帰る途中、またまた、あることに気づいた。ひょっとしたら、えび兄さんに頼んだ携帯電話はもう宅配業者の手に渡ってしまっていないか。あわてて、途中の住用町の知り合いの蕎麦屋さんに駆け込み、電話を借りた。さいわい、宅配業者はまだ来ていなかった。
宇検養殖場に帰りつくと、エビ兄さん始め、皆がニコニコと迎えてくれた。いや、見ようによってはニヤニヤのようでもある。ショルダーバッグが待っていた。数時間ぶりの対面である。
そもそも、ショルダーバッグは、ガラケーとスマホを両手に携えて右往左往するえびおじさんを見かねたえびおばさんが「いつか失くする」と心配して買ってくれたものである。2つが同時に収納できるから便利だった。一方で、ショルダーバッグを斜めに掛けたその姿はまるで幼稚園児みたいだと周囲からからかわれた。見栄えより実用が大切とばかりに意に介さずに「これで失くすことはない」という絶対の自信があった。しかし自信はもろくも崩れた。「今回のことは、失くしたのではなく置き忘れたのだ」と強弁してみたが・・・
「老いては負うた子に教えられ」のことわざがあるが、負うた子の代わりをこれからはAIがやってくれないものか。AIにえびおじさんのクセや習慣を教え込み、えびおじさんがうっかり間違ったことをしそうになると「ちょっと、違いますよ!」と注意・警告を発してくれるのである。人間の仕事の大半を奪うのではと畏れられ、半ば、毛嫌いされているAIに人間と共存できる新しい道が開けそうだ。えびおじさんの切なる願いでもある。<えびおじさん>
見つかった「アレ」
追伸 奄美地方は5月21日、九州南部は6月8日に梅雨入りしました。