2022-03-24
冬の寒さに閉ざされていた庭にもようやく春がやって来た。この季節はそこかしこに春の香りが溢れている。
梅の花が芳香を放っている。白い花は香りを持つ。花粉を媒介してくれる虫たちが白い花には気づきにくく、そのために香りでおびき寄せるという。香りに誘われるのは虫ばかりではない。人間の男たちも似たようなものである。ついつい香りに引き寄せられてしまって歓楽街にということになりかねない。誘惑は、青い灯、赤い灯だけではないのだ。
梅の花を眺めながらのコーヒー。至福の時である。コーヒーは香りを楽しむ呑み物である。しかし、呑むだけではもったいない。さらに香りを楽しみたいと、淹れる前のドリップコーヒーの袋<ドリップバッグ>を胸のポケットに忍ばせてみた。馥郁<ふくいく>とした香りが鼻腔をくすぐる。この包容力のある香りはどうしたことだろう。しばらく楽しんだあとに湯を注ぐ。グリコのキャラメルさながらに2度おいしい。得をした気分になる。ちなみに、何でも食べる駄犬ベリーはコーヒーの香りが苦手である。顔をそむける。
宇検養殖の前に広がる海の岸壁に打ちつける波も心なしか春の香りである。潮の香を甘~く感じるのはえびおじさんの錯覚かもしれない。浜辺ではアサリ取りの女性たちである。岩海苔のみどりもほのかに香っている。
匂いや香りは気持ちを穏やかにしてくれるとともに、過去の記憶と強く結びついている。えびおじさんの通っていた高校の近くにパルプ工場があった。煙突から吐き出される強烈な臭いが参考書のイメージと結びついた。現在は技術の発達で煙の臭いはだいぶ軽減されているが、半世紀経ってもこの臭いを嗅ぐと受験の参考書を思い出してしまう。香りは面白い。
「嗅ぐ」は五感のひとつだが、以前、ある芸能人が、香りだけでご飯が食べられるか実験をやったという。魚を焼く香りをおかずに白いご飯を食べた。つまり、味覚を通すことなく嗅覚のみで食べたことになる。芸能人の正確な感想は忘れたが、悪くなかったという言葉が記憶に残っている
えびおじさんも試すことにした。香りの材料はもちろん車えびである。えびおばさんからは「貧乏な学生時代を思い出したのでしょう!」とからかわれた。しかし、我田引水ながらなかなかイケるのである。ただ、数匹だったので香りの持続時間が短かった。今度はたくさんのえびを焼きながらもうもうとした煙の中で食べてみよう。しかし、香りはすぐに消えてしまうからあわただしい食事ではあった。
これは、季節は秋ということになるのだが、長年、気に入っている香りは柑橘の皮である。特にライムの独特さは例えようもない。桃源郷に足を踏み入れた気分になる。焼酎に入れるが、嗅ぐというよりも「香りを呑む」という気持ちで味わっている。柑橘の香りは皮が青いうちが絶品で、黄色く熟すにつれて香りがなくなっていく。人間も円熟味を増すと、若いころの荒っぽいまでの個性が失われていくがそれと同じだろうか。青草や枯草の匂い、夕暮れの匂いも捨てがたい。これらは、香りというよりも匂いと言ったほうが似合っていそうだ。
以前から気になっていたのは香港と香川県である。なぜ香る港や香る川なのだろうか。調べてみると、やはりその通りで、香木を運び出した港であり、樺の木の近くで水が噴き出して、その水が川となって樺の香りがした香川県である。
教科書でウクライナは黒土地帯と教わった。果てしなく続く平原は肥沃で小麦などの穀物が良く育ち世界の穀倉地帯とも呼ばれている。本来なら、今ごろは暖かい日差しのもと土が匂っていただろうと想像する。
<えびおじさん>
2022-03-24