2022-01-21
1月も10日を過ぎると年初の清新な気分は薄れてしまい、あれをやる、これを実行するといった決意もすっかり忘却の彼方である。自身の「凡」なることを改めて実感する。世の一流と言われる人たちは意志が強く決意を持続させる、もしくは決意するまでもなく日々の行動自体が常に充実しているに違いない。
どんな決意をしたのかも定かではない。すっかり忘れている。せいぜい、正月の新聞に載っていたお薦めの本を絶対読むぞとか、庭の剪定をして、春になったらライムの苗木を植えようとか、たわいもないことだったのだろう。天下国家を動かそうと決意したとは思えない。
いつになく寒い冬である。国技館の関取たちは寒くないのだろうか。大相撲初場所をテレビで眺めている。彼らこそ一流の存在である。鍛錬の日々に違いない。「今年の決意は?」と尋ねるアナウンサーの問いは愚問かもしれない。解説の北の富士の「相撲の本分は日々の稽古にある」の言葉を、門外漢のえびおじさんは今さらながら噛みしめる。道を究める世界には含蓄に富む言葉が多い。
寒いのは犬もそうだろう。駄犬ベリーはストーブの前に陣取って動かない。分るのかどうか、えびおじさんと一緒に相撲を見ている。
「10数年も人間と暮らしていると人間の言葉が分かってきそうなものに」と思うが、あちらのほうは「10数年も一緒にいればそろそろ犬語を覚えて欲しいものだ!」と毒づいているかもしれない。不満の気配を示さないのは食事の質が低下するのを恐れてのこと。わざとおとなしくしているのだ。「そんなことで差別・区別はしませんよ」と家庭内の多様性と寛容さを説くえびおじさんである。
<ベリーとの会話?>
(🐶)お酒の呑みすぎですよ。
(えびおじさん)正月くらい良いじゃないか。
(えびおじさん)どのつまみが焼酎に合うか試しているのだよ。
(えびおじさん)車えびのアヒージョ、燻製、ただ焼いただけの車えび。
(えびおじさん)どれも合うなあ!
(🐶)日本酒に合うと思います。ワインもピッタリ。むしゃむしゃ。
(えびおじさん)やっぱり車えびはうまいなあ!
(🐶)ちょっと身びいきが過ぎませんか。
(🐶)それより早く犬語に親しんで下さいよ!
(えびおじさん)語学は一朝一夕にはいかないものだ。日々のレッスンが大事だ。
(えびおじさん)さっそく明日から始めよう、今年の目標だ。
(🐶)確か、1年前にも聞いたような気がするなあ?
正月は何でもできそうな気がするから不思議である。新しい年が始まった高揚感からの一種の躁<そう>状態だろうか? 松が取れる頃になると現実が見え始めてくる。<えびおじさん>