2021-12-22
高校の同窓会があった。古希同窓会である。500人いた同級生のうち集まったのは60人余り。還暦の時が100人強だったので約半分である。新型コロナが外出や集まりを妨げたようだ。
乾杯の役目を任されたので、これは困ったと、前もって「古希」を調べてみた。「人生70年、古来稀なり」と詠ったのは中国の詩人 杜甫である。今でこそ80歳や90歳が当たり前のように語られるが、その当時は70歳は極めて珍しかったのだろう。杜甫はこうも言っている。70歳を迎えることは難しいのだからせめて酒でも呑もう、ツケがたまっても構わない、と。当の杜甫自身は58歳で亡くなっている。
「古来稀なり」で有名なのは、昭和の名横綱 双葉山である。70連勝を目前に69で連勝が止まったのである。ラジオのアナウンサーが「70は古来稀なり」と実況したという。
数年ぶりの同窓会は大いに弾む。酒<ビール、焼酎、ワイン、ハイボールなどなど>も進む。杜甫の言に従うのみである。何しろ同級生同士というのは利害関係がなく誰に気遣う必要もない。男女の間柄もそうである。男、女の仮面などすでに外れている。性別を意識する前の幼児に還ったみたいだ。ヤケボックイに火がつく様子などまるでない。素<す>の人間に戻って話に花を咲かせている。
ただのおじさんとおばさん、いや外部の人から見たらおじいちゃんとおばあちゃんだろう。若かりし美男美女たち<?>が今やほとんどその痕跡を留めていない。ああ、あの顔はこの頭<髪>はこうなる運命だったのかとこれまた感慨深いものがある。
52年ぶりに出会った友人がいた。仲の良かった友である。彼は高校卒業以来ずっと鹿児島を離れて暮らしている。別れ際の挨拶に少し驚いた。えびおじさんが最近使わなくなっていたある鹿児島弁を操った。「ハンも元気でな!」と。「あなた」を表す「ハン」が彼の中では生きていたのである。遠くに住んでいる友人にとってふるさとは揺らぐことはなかった。
同級生の中には亡くなった友人もいる。彼らの分まで頑張りたい。再会を約束して皆別れて行った。乾杯も何とかやりおおせた。コロナ禍で不自由で寂しい毎日だが1年の終わりに元気の出るできごとに出会えた。
<えびおじイさん>