白いばら
今から50年ほど昔に「国境の白いばら」という歌があった。反戦歌である。
国境警備に当たっている年寄りと若者の2人の兵士が国境を挟んで仲良くチェスを楽しんでいた。あたりには野ばらが香っている。ある日、このふたつの国同士が戦争となり若者は戦場に向かった。年取った兵士は若者の無事を祈った。
大きなヒット曲にはつながらなかったが心にしみる歌だった。女性歌手が歌うこの歌をユーチューブで久しぶりに聞いてみた。
歌に出てくる国は架空の存在なのだろうが、なんとなく東欧のイメージである。地続きの国、そして小高い丘の上の国境が脳裏に浮かんでくる。暖かい日差しが注ぐ春の午後だろう。そして、平和が打ち砕かれる。
海で囲まれた日本と異なり陸地で国境を接する国では、ほとんど隣近所のような感覚で人々のつきあいがあったのでは。そして、もし、国境警備隊というものがあるのならこんな光景が実在するのではないだろうか。50年前のこの歌が、現在のウクライナとロシアの戦いに重なってくる。それにしても、国境を越えて、突然、戦車がやって来るという恐怖は想像すらできない。
ウクライナとロシアの戦争に関しては反戦歌が聞こえてこない。遠い国の戦争だからだろうか。多くの反戦歌が歌われていた50年前というのは終戦から30年経ったころである。そのころはまだ戦争経験者が大勢存命だったし、戦争への反省の気持ちが満ちていた。実戦ではないまでも東西の冷戦は続いており、なによりアジアではベトナム戦争が繰り広げられていた。戦争当事国のアメリカはまだ徴兵制度があり、たくさんの若者が戦場に駆り出され、沖縄の米軍基地から爆撃機が飛び立っていった。時代は生々しく、反戦歌が生まれる素地が十分にあった。一方、現在は、戦争の匂いがすでになくなっており、戦争の話をしてくれる人もいなくなった。国民もそうだが、政治家も大半が戦後生まれである。反戦歌は生まれにくいのかもしれない。
「戦争を経験した人や語り継ぐ人がいなくなったときに、新たな戦争の足音が忍び寄って来る」という。なるほど。口伝(くでん)する人は確実に少なくなっていく。そうなれば、せめて戦争の悲劇を伝える印(しるし)は残せないものだろうか。
えびおじさんの田舎では、戦争の痕跡がだんだんと失われつつある。フィリピン沖で亡くなった若い飛行兵の墓がなくなったし、大陸・満州の警備隊の責任者だった人の墓も今はもうない。墓じまいである。これは、日本中、どこも同じかもしれない。
特攻基地など参観者の多いところはきちんと整備されているが、こういった、巷(ちまた)の戦争の遺跡も残せたらと思う。墓や防空壕などは悲劇を物語る貴重な戦争遺跡である。過去を失いつつある一方で、令和の現在を「新たな戦前に入りつつある」と表現する人も出てきた。
外国の話ながら、ITの得意な若者が、衛星の画像から戦車や看板の位置から軍隊の動きを突きとめた、というニュースがあった。いかにもデジタル時代らしい。こういうことが反戦につながればとつくづく思う。
人の命を犠牲にしてまでも成し遂げなければならない仕事というものがないように、人の命を奪う戦争にも大義はなく、人の人生に危害を加える権利は誰にもない。ロシアのウクライナ侵攻から24日で1年経った。
立春を過ぎて花の季節を迎えた。赤いばらが情熱の恋なら、清楚な白いばらは平和への切なる願いである。 <えびおじさん>