鹿児島市と奄美大島の宇検村を毎月のように往復するえびおじさんだが、昨年の12月25日はどうしても奄美大島にいたかった。というのは、この25日は奄美がアメリカの統治から解放された日で、2023年(令和5年)は返還から70年になるのである。
奄美は戦後8年間アメリカの支配下にあった。そして、1953年(昭和28年)12月25日、住民運動が実り日本に返還された。アメリカからのクリスマスプレゼントというかたちで。
えびおじさんは返還70年の節目を奄美で過ごしたかった。
奄美は返還記念に沸きたっていた。島のここかしこに記念の横断幕や懸垂幕が見られる。また、地元の新聞の特集はもちろんのこと、最近、アメリカで発見された、支配下時代の奄美のカラー写真の展示、奄美大島一周駅伝、トークイベントが華やかに開催された。
そういった中、鹿児島の県域放送局 MBCがラジオドラマ「朝はあけたり~決死の密航 奄美日本復帰を伝えた男たち~」を25日に放送した。史実に基づいたドラマで内容は概ね次のとおりである。
~ 1953年12月、MBCのアナウンサーと技術員の2人の放送マンが鹿児島市から奄美に赴いた。25日に返還される奄美の人々の喜びを全国に伝えるためである。ただし、貨物船に潜り込んでの密航。渡航許可が間に合わなかったのだ。船内に隠れての苦労や乗組員の優しさと好意、上陸してからは米軍に見つからないように緊張しての取材。8年に亘るアメリカ支配の圧政のもと、奄美の人たちの、食うや食わずのバラック生活。ソテツの実をお粥にして食べているという。敗戦の悲惨さである。それでも、奄美の人々は住民運動を展開してきた。暴力に訴えない無抵抗である。努力が実り、いよいよ返還の日がやって来た。2人にとって、さまざまな困難を乗り越えてのラジオの全国中継である。 ~
ドラマでは当時の音源も使われており臨場感たっぷりである。出演は鹿児島にゆかりのあるタレントや俳優たち、ナレーションは奄美在住の元ちとせである。
トークやミュージックなど、時間の流れに沿った番組が主流の時代だが、脚本、言葉、音楽が充分に練られたラジオドラマは、ふと立ち止まりたくなるような趣がある。登場人物の一挙手一投足が浮かび上がって来る。誰の言葉か忘れたが「ラジオは最高の映像メディア」を実感する。トークや音楽の番組が行書・草書の世界なら、ラジオドラマは楷書の世界かも知れない、勝手な思いだが。
ドラマは奄美の4つのFM局でも放送された。車のラジオでも構わなかったのだが、独りでなく、このドラマを誰かと分かち合いたかった。しかし、25日は月曜日。週明けの月曜日はみな忙しい。この番組を流す「FMうけん」の方ならつきあってくれるのではなかろうか?と思った次第である。
「FMうけん」に行くと、事務局長の向山ひろ子(むけやま)さんがいらっしゃった。世の中、たいていのことがパーソナルになってしまった今の時代、テレビはともかく、ラジオを複数で楽しむなどは稀有なことかもしれない。
向山さんと一緒にラジオに聴き入っていると「私も入れてちょうだい」とばかりに、近所の猫がやってきた。ストーブに当たりながらコーヒーをすすり猫も一緒にラジオを聴いている。向山さんの膝の上でくつろぐ猫はドラマのストーリーに相づちを打つようにときおり長いしっぽを振っている。 <えびおじさん>
<追伸> そう言えば、猫の名前を聞かなかったことがニャンとも悔まれる!
日本復帰70周年の懸垂幕(宇検村役場)