誰からだったかは思い出せないのだが、おもしろい言い回しを教えてもらったことがある。「手段が目的になったものを趣味という」である。
人の趣味はさまざまで、その定義も多岐に渡るに違いない。しかし、これはなかなか気の利いた表現で、これに倣うなら、子供の頃にハマったプラモデル作りがあてはまりそうである。完成したものを眺めるのもオツなものだが作る過程がこれまた楽しい。セメダイン(接着剤)で手を汚しつつ悪戦苦闘する数時間もしくは数日は、ある意味、忘我の境地である。まさしく、手段が目的化している。
一年中、自然の中に身を浸しているえびおじさんの秋の楽しみはギンナン拾いである。早い話、これが趣味なのである。
ギンナンは食べるとうまいし、翡翠(ヒスイ)色で宝石のような趣きがある。しかし、そこに至るまでにはけっこう大変である。まず、臭い。そして下手に触るとカブレてしまう。かなりの嫌われ者である。
そんなギンナン拾いのどこが楽しいのかといぶかる向きが多いと思う。えびおじさんも実のところよく分からない。食べるのが楽しみというより、無心になって拾い続けるというあの単純な作業に魅力があるような気がする。まったく、手段の目的化である。砂場遊びに夢中になる子供と似ているかも知れない。
ギンナンはイチョウの実である。えびおじさんのイチョウの木は山奥にある。1本の大木である。秋になるとギンナンは落ち始める。台風の通過した後など、樹の根元は一面の金色の絨毯だ。その後も、さみだれ式にひと月ほど、ポトン、ポトンと落ちてくる。
果肉部分はすでに柔らかくなっておりヘタに触るとカブレる恐れがある。このため、台所で使うビニールの手袋を2枚重ねての厳重態勢で臨む。かがんでの作業は老体に堪えるが、およそ2時間、拾い続ける。セブンイレブンで買ったビニール袋10個が満杯となる。おあつらえ向きに、すぐ近くを小川が流れている。小川の水で果肉を落としていく。果肉が好物なのだろうか、なんと蟹や小魚がえびおじさんの足元に遊びに来た。しかし、しばらくするといなくなった。「臭い、臭い」と鼻をつまんでいるのかもしれない。
この作業もやはり2時間くらいである。腰が痛くなるが、またまた楽しい。妙な充実感がある。単純な行為を数時間も続けていると、不思議と、さまざまな思いが湧き上がって来る。未来についてのことではなく過去のことが多い。昔の仕事仲間や同級生など、知り合いの顔が次々と浮かんできた。
何度も申し上げるが、ギンナンは美味しいのである。殻の内側に身が詰まっており、加熱すると翡翠(ヒスイ)色になって美しい。塩をまぶすとビールのつまみになる。居酒屋でおなじみのおじさん方も多いのでは。ギンナンは不思議な存在である。家庭で積極的に必要とされるわけではない。あれば食べるが特に不自由しないという嗜好品である。
調理方法もたくさんあるのだろうが、えびおじさんは、袋に入れて電子レンジでチンするだけである。ポンポンと殻が弾ける音はえびおじさんにとって秋の風物詩である。イチョウの樹を植えてくれた先祖に感謝しつつ、熱々のギンナンを口に放り込む。愛犬ベリーも「僕も欲しい!」としきりに訴えてくる。ギンナンとエビのコラボができないものか思案中である。
(追伸) 日めくりカレンダーの教訓の欄に「仕事が趣味になるまで努力せよ」と書いてある。我を忘れてそこまで没頭していたならば、えびおじさんの人生も・・・ Too late(あとの祭り)である。