2020-12-09
新聞を広げてコーヒーを呑む。ラジオの音楽は懐かしい昭和のポップス。日曜日の朝のえびおじさんの至福のひとときである。流れる時間は、あるかないかのゆったりさだ。読むというか眺めるというか、えびおじさんは新聞をめくる。今朝の1面トップは、東京都が新車販売されるガソリン車を2030年までにゼロにするとの記事、その次は、新型コロナへの政府の追加経済対策が40兆円に決定したとの記事である。
えびおじさんが新聞ならば、若い世代は缶コーヒーを飲みつつスマホで情報収集するといった図式だろう。若い世代はパソコンやスマホなどのITのメディアである。えびおじさんも、IT機器に少しばかり接している。しかし、十分使いこなしているとはお世辞にも言えない。いちおうは持っているスマホは通話とメール機能だけが使える。パソコンは、文章は打てるものの、それ以外の機能については、そのつど若者の助けを借りる。そしてまた、悲しいことに、教わった内容をすぐ忘れてしまって翌日はまた同じ質問する。かなりのIT音痴である。毎日が新鮮というべきかもしれない。
使いこなせればITは便利な道具である。ニュース、天気、活字の辞書の代わりの電子辞書、マップ、音楽、ゲーム、そして、さまざまなアプリである。例えば、地球上のどこをどの航空会社の飛行機が飛んでいるか、またグーグルマップでヨーロッパの街並を覗いたり、近ごろは通訳のアプリが人気らしい。情報の獲得には大いに助かる。
えびおじさんは、電子機器というものは、エネルギーが電気だけに、突然、パソコン画面の文章が消えてしまわないかという恐怖があり、あげくの果ては感電や爆発しないだろうか、の心配までする。本当はそんなことはまったくないのだが。まるで、初めて電気がやって来た明治の人のようである。ITを自在に使いこなせる若い人はうらやましい限りだ。しかし、そんなこんなで、えびおじさんは、やはり、アナログの活字の世界が好きなのだ。
新聞を読んで気になる記事は切り抜きをする。何度も読み返さないと理解しきれないし自分のものにできないのだ。インターネットの記事はプリントアウトだ。若い人たちはあきれかえることだろう。でも、えびおじさんは、この面倒な作業も意外と楽しいのだ。
これまであまり関心がなかったが、最近、読み始めたのが「首相動静」だ。菅総理の、朝起きてから就寝までの動きが分刻みで書かれている。じつに興味深い。まことに多忙な方だ。日に何人の人と会うのだろう。多いときは100人を超えるのではなかろうか。朝は6時半の散歩に始まる。3食とも食事の会場はいつもだいたい同じところだ。飽きないのか、いやいや、メニューのたくさん並ぶレストランなのだろう。車えびのメニューもあるのだろうか? 歯の治療に通いつつ、ときどきはジムで鍛錬なさっているようだ。体力勝負の仕事でもある。首相にアイデアの提供やアドバイスをするといわれる首相補佐官や各省庁の偉い方々の名前がずらりとでてくる。ここで日本の明日が語られ、ものごとが決まっていく。わが国の進路がここに凝縮されている。どんな会話がなされるのか中身まで書いて欲しくなる。しかし、こうしてチェックされている立場も辛いだろうと想像に難くない。
読者からの投書欄も楽しみだ。市井(しせい)には、その道の専門家でなくとも見識の豊かな方が多い。政治や社会に関する優れた意見にえびおじさんはいつも啓発される。新たな視点を与えて下さる。若い世代の投書もまた楽しく、小さな子供たちの学校や家庭でのできごとなど楽しい話が満載である。ここには日本の希望が見える。
コロナ禍で学校に行けず遊べなくなったこと、将来の夢、ラジオで作文を読まれたこと、島口(しまぐち:島の方言)を守る、読書から得たこと、ペットとの語らい、初めてデパートに行ったときの驚きや転校のドキドキなどなど、である。子どもたちの生活ぶりや心の機微がうかがえる。えびおじさんは自分の子ども時代と重ね合わせてみる。そうすると、会ったこともない子供たちの姿が見えてくる。
宇検集落の2人の小学生の投書が、最近、新聞に掲載されていた。いつも、丁寧な挨拶をしてくれる女の子たちだ。1人は、亡くなったおじいさんの三味線を大切にしてこれからも懸命に稽古に励むという決意、もう1人は、夢と目標を持って行動し大好きな美容師をめざす心意気を語っている。新聞に載って2人の気持ちは高ぶったことだろう。決意はさらに強くなったに違いない。
ITが得意ではないえびおじさんは、今日も新聞で世界をたゆたっている。若者たちがネットサーフィンで世界を駆けめぐっているように。
<追伸>マスク姿があまりにも味気ないので、マスクの中の、鼻の下あたりに、紅茶のティーバッグを挟んでみた。桃源郷とまではいわないが、香りが穏やかで、心地良い。このようなことを考えついた自分を誉めて?友人に報告したら、アロマのマスクが既に世の中にあるそうで、またまた、一笑に付されてしまった。
<文:えびおじさん>