2021-01-18
年賀状書きはいつも戦争である。紅白歌合戦を横目に最後の追い込みだったり、はたまた、越年したりだ。しかし今季は手をつけるのが早かったために年内に勝負をつけることができた。
いただいた賀状の文面は「コロナを乗り越えて」や「今年もよろしく」など1年の決意や挨拶が大方だが、単に挨拶にとどまらないものもいくつかあった。昨年は入院していた、年金生活者になった、転職、定年、引っ越し、今年は仕事の拠点を県外に移す、などが添え書きしてある。年賀状は近況報告でもあるのだ。春の気分とともに人生の転機を迎えての決意がさらりと認(したため)られている。その人の心情をじっくり読み取らねばならない。
家族写真の年賀状も悪くない。家族写真に反発を持つ人もいるが、家族構成を知ることもできるし、会ったことがなくとも子どもたちの成長は楽しみだ。年賀状という時系列で成長の具合が分かる。子どもたちは私たちの希望であり未来だ。
毎年、海外旅行に行く友人の年賀状には必ずそこでの記念写真が載っている。今年は東南アジアの街角である。コロナ禍以前に行けたのだろう。羨ましい限りである。
印刷ながら自作の絵で年賀状という友人もいる。絵心のある友人はこれまた羨ましい。しばらく飾っておく。
「口以外はずいぶん弱ってきたよ」という年賀状は人生の大先輩からだ。しばらく会っていない。コロナが収まったらぜひ会いに行きたい、焼酎ぶら下げて。口撃にさらされることを覚悟しつつ。
差出人の住所も名前も書いてないのがやって来た。郵便番号だけは書かれているので、そこから類推して捜しだせないこともないのだがまだやっていない。えびおじさんは試されているのだろうか。そして、2枚送ってくれた友人もいる。たくさん書いているうちに本人も忘れてしまったに違いない。幸せが重なって舞い込んだと思えば良い。
今年は時間にゆとりがあったため相手のことをゆっくりと思い浮かべつつ書くことができた。あの人はどうしているのだろうという想像をめぐらしながら。住んでいるのが鹿児島だから送り先の大半は鹿児島県内だが、福島や長野、山梨、愛知などの、気候風土が異なる地域の友人もいる。りんごや雪の空を想像しながらの賀状書きだった。
コロナ禍の今こそ年賀状で繋がろうという向きもあったようだが、年賀状の発売枚数は、毎年、減少傾向で、今季もそのように推移した。年賀状とは全く無縁の若者も多い。MAILで「今年もよろしく」である。時代とともにメディアは変わっていくのでこれはしようがないことだ。しかし年賀状の一筆の添え書きにほんのりと春を感じることができるのも事実である。年1回ではあるが、友人とえびおじさんとの心の交流である。<えびおじさん>
追伸:1年の締めくくりの歌番組は今回も若者向けの歌がほとんどで、えびおじさんの好みではなかった。この時節に聴きたいのは「襟裳岬」や「冬のリヴィエラ」「熱き心に」などなど。「北帰行(ほっきこう)」も「黄昏(たそがれ)のビギン」もいいのになあ。
というわけで、まったくいつものように9時頃には就寝。えびおばさんは、最後までおつきあいしたようである。