2022-11-11
横書きの文章と縦書きの文章とでは、読むときの理解や感動が違うのだろうか。と思ったのは、最近の新聞記事を読んでのことだった。
新聞週間にちなんで、活字を読むことの大切さを訴える女性タレントのまったく同じ文章が、a新聞は横書き、b新聞は縦書きだった。まずa新聞を読んだ。赤鉛筆で印を<古いなあ!>つけたくなるほどの素晴らしいコメントが載っていた。続けてb新聞を読んでみたが、同じコメントなのに言葉が心に刺さって来ないのである。2番目に読んだから感動が二番煎じなのだろうかと思ったが、そうでもなさそうだった。
えびおじさんの結論はこうだ。読むときの心地よさが感動につながっているのでは。えびおじさんの場合、横書きの文章の方が縦書きの文章よりも心地よい気がする、読むスピードも速い。横書きの心地よさは何だろう。目そのものが縦よりも横への移動が得意なのでは。それが心地よさにつながっている。それと、もう一つパソコンの影響があるような気がする。パソコンでの横書きを続けている間に、目の移動が横に慣れて横書きが当たり前になってしまい心地よいのであろう。心地よさが理解と感動を呼ぶのではというのがえびおじさんの結論だった。
ちなみに文庫本は縦書きである。ところが「縦書きが必ずしも心地よいとは言えない」までに横書きに馴染んでしまっているえびおじさんである。もし、文庫本が横書きだったら、読書量はもう少し増えているかもしれない。言い訳がましい話になってしまった。
横書きと縦書きでは重みが違うのだろうか。年賀状を横書きで書こうとしたら、えびおばさんから窘(たしな)められた。「軽い、相手に失礼だ!!!」というわけである。美しい字ならともかくも、桜島の溶岩のような字の横書きは駄目だというのである。桜島の溶岩・・・は余計としても確かに縦書きの方が重厚な感じがする。年頭のご挨拶としては「見た目」も大切だ。
企業の対外向けの公式文書もたいてい縦書きである。「この度は誠に失礼致しました・・・」といったお詫びの文書もそうだ。横書きは改まったことには不向きなのだろうか。一方、社内文書はたいてい横書きだ。社内であるという気安さもあるのだろう。そしてまた実用的である。
縦書きと横書きを考えていたら「ハレとケ」を思い出した。日本人の世界観を表す表現である。「ハレ」は、結婚式などの挨拶で「ハレの日」と使われるように非日常のこと、「ケ」は日常的なことである。えびおじさんは、 非日常と日常を区別するように、いつの間にか、縦書きはハレ、横書きはケといった具合に決め込んでしまったのかもしれない。
しかし、先日届いたある取り引き先の挨拶文書は横書きだった。時代の流れで、横書きのカジュアルさが徐々に公式文書の中にも浸透し一般的になっていくようである。
先ほどの「ハレとケ」も馴染みのない世代が増えてきた。えびおじさんのわずか5~6歳違いの年下世代でも知らないようであった。そういえば、昔は年に数回しかなかったごちそうも今や日常の風景である。昭和30年代の鹿児島の田舎では外食などは夢のまた夢だった。それこそハレの日だったが、今や毎日がハレとなってしまった日本である。そしてそれをハレとも思わなくなっている。
車えびが飛び跳ねるように文章も転々として取りとめがなくなった。まもなく年賀状の季節である。「早くしろ早くしろ」とウサギの大合唱が聞こえてきそうである。さて、ウサギは歌うのだろうか? <えびおじさん>