2023-01-30
エビ詰めの作業をしながら伊東ゆかりの歌を拝借して「あなたが噛んだ小エビが痛い・・・♪」と呟いていたら、若い従業員から怪訝な顔をされた。50年以上前の昭和の歌である。小指を小エビと言い換えるシャレなのだが、彼らは、歌はもちろん、伊東ゆかりの名前も知らない。3人娘と説明したところで謎は深まるばかりであろう。宇検養殖場で伊東ゆかりの「小指の思い出」をキチンと知っている(歌える♪)のはえびおじさんだけだ。昭和は遠くになりにけり、と言うには少し大げさな気もするが・・・。
ふだんの生活の中で、昭和と令和の相違を感じる場面によく出くわす。20代から30代の若者との会話で確認する。これがまたおもしろい。
時節柄、まずは年賀状である。えびおじさんの周囲の若者のほとんどはこれと無縁である。男女、都会、地方を問わずである。これも時代だろう。若者にはスマホという彼らにふさわしいメディアがある。年賀状にこだわる必要はない。若者にはこれが合理的なのである。
魔法瓶を知らない。「ポットのことだよ。お湯が冷めない魔法の瓶だったのだよ」と教えると若者の疑問は氷解する。携帯、スマホと進化して、固定電話を見たことがない若者が多い。「ダイヤルを回して 云々」と説明するより、自宅に保存している黒電話を持ってきた方が早そうである。知ったかぶりをして先輩ヅラする自分の姿を想像するとおかしくなる。「ITは不得手でも昔のアナログなことなら何でも教えてやるぞ!」と息巻くえびおじさんだ。
「アベック」も死語に近いが、野球中継のアナウンサーはいまだに「アベックホームラン」と絶叫し「カップルホームラン」との名称はまだ聞いたことがない。昭和がかろうじて残っている。
生活習慣の隔たりも感じる。例えば、現在は自宅に同僚を誘って呑むということがほとんどない。昭和30年から40年代、えびおじさんの父親、えびおじいさんは職場の同僚10人ほどを伴って家で昼間から酒盛りだった。少年だったえびおじさんは自転車で焼酎を買いに行くのが役目、えびおばあさんは庭で飼っていた鶏を潰していた。現在は共働きの家庭が多い。明日のことを考えれば知り合い宅での宴はどうも遠慮がちになる。
また、昔は「とりあえずビール」だったが、今は「とりあえずハイボール」である。しかし、えびおじさんは今もって新しい習慣に馴染めず、相変わらずビールからスタートである。
歌の世界が変わってきた。歌は世につれ~♪と言うが、演歌がまったくと言っていいほどテレビやラジオから流れてこない。世の中が変化したのだろう、年末の歌番組にそれは象徴的に表れている。聴取料を払っている立場としては、投票形式にしてはどうかと嘆きたくなる。しかし、おかげで早く就寝できるというメリット<?>がある。人々の気持ちを鼓舞した演歌は今やミュージックに取って代わられている。誰かが言っていた。演歌が廃れて凶悪事件が増えてきた、と。日本人から忍耐力がなくなってしまったのだろうか。
中村草田男が「降る雪や、明治は遠くになりにけり」と詠んだのは昭和6年のことである。日本も世界も激しく変動していた。明治の精神もそうであろうが、物質的な変化も大きかったと思われる。面白いのはあいだに大正というひとつの時代を置いていることだ。「昭和・・・」の場合も平成を挟んでいる。子どもがおじいちゃんやおばあちゃんを懐かしむようなもので、現実味が少し薄れて遠い存在になるのかもしれない。
でも本当に昭和は遠くになってしまったのだろうか。最近の国内外の情勢を見るにつけ、再び、昭和初期の戦争前夜のような空気だ。ウクライナに限らず、東アジアにもきな臭さが漂ってきた。歴史は韻を踏むと言うが・・・。「戦争のない穏やかな世界が来るように」と、まじないの如く祈るが如く年賀状に書き連ねた。杞憂に終わって欲しいものである。
<令和の昭和びと:えびおじさん>