2022-02-03
「お年玉付き年賀はがき」の抽選結果を新聞で確認して、12月から続いたえびおじさんの「 年 賀 状 狂 騒 曲 ♬ 」が完結した。
季語辞典には「春」「夏」「秋」「冬」とともに、独立して「新年」の項目をしつらえてある。日本人にとって「正月」はやはり特別な存在なのである。季語辞典にはしっかりと「年賀状」も「お年玉」も掲載されている。
3等の「切手シート」が11枚当たった。今年も1等や2等とは無縁だった。宝くじ並みの大変な倍率だろうからもともと期待はしていなかった。切手シートは63円と84円の切手が一緒になって1枚だ。それが11枚。ありがたい。
「ヒマなえびおじさん」と批判されることを覚悟しつつ11人の送り主にmailした。
「貴殿<貴女>からいただきました年賀状が『切手シート』当選の栄誉に浴しました。ご報告申し上げます。誠にありがとうございます。」2回目の新年の挨拶である。もとより気心の知れた友人たちである。mailに応えてくれた。
「切手シート当選おめでとうございます。寒いので体調に気をつけて。」
「来年は1等が当たるように出しますから期待してください・・・?」
「こんな時代だからこそ、当選した切手で手紙のやり取りするのも良いコミュニケーションかもしれませんね!」などなど。
えびおじさんの知り合いに年賀状を1500枚書くという猛者がいらっしゃった。1週間ほど仕事を休むのだそうだ。文学的素養の豊かな方で中国の漢詩を引用したりして気品あふれる賀状だった。漢詩そのものは印刷だったが、必ず肉筆の宛名と添え書きがあった。「年賀状を書くのが楽しくて (^^♪ 」とおっしゃっていた。高齢を理由に数年前に年賀状を卒状された。
年賀状の持つ意味合いは人それぞれに異なるだろうが、えびおじさんの場合は一つは近況報告である。「コロナに負けずに元気にやっていますよ」と、挨拶を兼ねての安否情報みたいなものである。卒状された方にも書いている。そして、もう一つは、大げさに言えば自分を確認する儀式みたいなものだろうか。友の顔を思い浮かべつつ1年を振り返っている。
若い人の年賀状離れが著しいが、この年末には、あるサービス業の会社から「SDGsの観点から今後の年賀状は辞退させていただきます」のお知らせのはがきが届いた。木の伐採を減らし森の豊かさを守ろうということなのだろう。時代の流れかもしれない。しかし紙の文化がなくなることに一抹の寂しさを禁じ得ない。
1500枚の年賀状には及びもつかぬが、年末の忙しさと並行しての賀状書きは楽しくもあり大変でもある。早く取りかかればどうということもないのだがこれがなかなかだ。持って生まれた質<たち>みたいなものである。集中力の無さや先送りの癖は一生つきまといそうだ。やはり今季も越年した。
ひょっとしたら、えびおじさんの年賀状で1等が当たった人がいるかもしれない。連絡をもらえれば一緒に喜びを分かち合いたい。「返して!」とは決して言わないから。 <文:えびおじさん>