奄美は「アカショウビン」の季節となった。夏鳥として東南アジアからやって来てしばらく滞在する。「アカショウビン」は漢字では「赤翡翠」の字を当てられて、文字通り赤い羽毛に覆われている。声も姿も美しい。「キョロロロ~」と哀愁を帯びた声が朝な夕なに森の奥から聞こえてくる。その鳴き方から、奄美では「クッカルー」という名前で呼ばれている。朝の訪れを知らせるように、空が白む直前あたりから鳴き始める。「朝になるよ」「仕事に行く時間だよ!!」という具合で、夕方には「ビールのうまい時間だよ」と教えてくれるのである。
「アカショウビン」の鳴き声で思い出したのは口笛のことである。子どもの頃はよく口笛を吹いて楽しんでいた。学校帰りの田んぼ道や家の庭がその場だった。曲名はもう完全に忘れてしまったが流行りの歌謡曲だったのだろう。しかし、今は口笛を吹くようなことはなくなってしまった。もう何年も吹いたことはない。なぜ遠ざかってしまったのだろう。
口笛で歌を奏でるということは、歌を歌うようなものでその巧拙が分かってしまう。小さい頃はそんなことにお構いなしに吹いていたが、自分が思うほどではなくずいぶん下手だったのだろう。そのことに気づいたのかどうか、吹かなくなっていった。
現在、ときおり吹くのは道端で出会う散歩中の犬に向かってである。飼い主がいるわけだから、そっと吹いて犬の反応を確かめる。何事だとばかりに犬が反応してくれた時は嬉しい。この春、朝、まだ人の通りが少ないときにウグイスの真似をして「ホ~、ホケキョ」とやってみた。高校生が反応した。こんな街なかにウグイスがいるのか!とばかりに空を見上げていた。罪作り?ではあったが「まだまだ腕は(口は)衰えてはいない」とひとり悦に入った。その日は一日中楽しかったのは言うまでもない。高校生には悪いことをした、と大いに反省である。
「夜、口笛を吹くものではない」と厳しくたしなめられた子供時代である。「夜、爪を切ってはならない」というのと同じような迷信ではあっただろうが、確かに夜の口笛は気味が悪い。
以前、高名な作詞家が時代の音楽を評して「ミュージックはあるが、歌がない」と言ったが、口笛もなくなってしまった。現在の子供たちは口笛を吹くのだろうか、ほとんど見たことがない。スマホで忙しいことと思うが、声ももちろんながら、息で音楽を奏でられる口笛は体を使った貴重な楽器である。味わってみてはいかがだろう。
そして、腹式呼吸である口笛は歌を歌うのと同じように健康に良いらしい。口のすぼめ方のあんばいと音階のとらえ方がボケ防止にもつながるかもしれない。美空ひばりの「悲しい口笛」など口笛を題材にした曲がある一方で、口笛で楽しむには「上を向いて歩こう」や「ドレミの歌」などが初心者向けらしい。
ひとつ挑戦してみようかと思ったのは「史上最大の作戦」と「クワイ河マーチ」である。いずれも戦争にまつわる曲だが、子どもの頃にテレビやラジオで耳に馴染んでいる。音楽を楽しむと同時に脳とくちびるの活性化のためにとの思いもある。果たして忘年会に間に合うか? <えびおじさん>
追伸 ♫ 口笛の話を友人にしたところ、友人は子供や孫と「草笛」を楽しむそうだ。草笛の笛はカラスノエンドウである。「スツピッツピ~」のウオーミングアップのあと曲を奏でて曲当てを楽しむという。初夏のこの時期ならではだろう。ちなみに、奏でる音楽は,、唱歌の「チューリップ」に始まり、ベートーヴェンの「第九の第4楽章」もあるというからその幅広さに恐れ入る。遊び心満載の愉快な一家である。


梅雨の晴れ間の宇検集落で(5月27日)
上:アダンの実と枝手久島
下:大潮の干潮時に姿を現したサンゴ礁(船越海岸)