2月3日は立春。三寒四温で少しずつ暖かさが増しつつある。それとともに自然界が目覚めていく。サザンカが花びらを散らし椿の花が咲き始める。梅の花もまもなくだ。啓蟄はまだ先ながら虫たちも徐々にうごめき始めるのだろう。
春の声に誘われて人間たちの活動も活発になる。なんと、10数年ぶりに結婚式に招待されたのである。新型コロナの蔓延で結婚式が少なくなったという事情もあるが、近頃は、式は挙げても披露宴は略すというのがひとつの流れになっている。確かに、これからの生活を考えれば披露宴の費用は貯蓄に回したいところではある。一方、結婚披露宴が大きな収入源になっているホテルや結婚式場にとっては困った現象だ。以前、聞いたところでは、披露宴を開くカップルは約6割とのことだった。今では、さらに減っていることだろう。
そういう中で春の結婚式である。華やいだ世界は寒風に打ちのめされたえびおじさんの心をなぐさめてくれる。
披露宴だけでなく式から参列させてもらった。社内結婚ということもあってか、チャペルは2人の同僚らで満員状態。えびおじさんは座れたものの立ち見(?)が出る盛況ぶり。新郎は緊張でガチガチの様子。神父が新郎に誓いの言葉を促す。実直な性格の新郎は「・・・誓います!!!」と周りが驚かんばかりの強い口調で応えたが、年度初めにサラリーマンが「今年度も売上をがんばります」と述べる宣誓と似てなくもない。実は新郎はある国家試験に合格し昨日発表があったばかりとのこと。今後に向けての、公私にわたる大いなる気概を示したのかもしれない。一方、新婦は、終始、笑みを絶やさない。そう言えば、新婦は入社試験の面接で「あなたの武器は?」と問われて「誰にも負けない笑顔です」と応じたという。ほほえみ天使である。
披露宴のスタイルはえびおじさんの頃とずいぶん異なる。令和のこのご時世、仲人を立てないのは周知のことだが、結婚式の象徴ともいえるあの高砂のテーブルもない。代わりに、映画「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーン扮する王女がラストシーンで使ったような低いソファーが置いてあり新郎新婦が腰を降ろす。それこそ映画のひとコマのようである。
主賓の挨拶、乾杯の発声で宴が始まった。格式ばったことはなくすべてに軽やかでおしゃれなのである。料理も、見たことのない洋食で昭和の時代のような鯛の焼き物などはない。
友人たちが2人のそばにやって来てしきりに写真を撮っている。結婚式は、また、出会いの場でもある。新郎新婦、それぞれの友人や親せきが久しぶりの再会を喜び近況を報告しあっている。実はえびおじさんにも再会の人がいた。新婦の父親である。ずっと以前からの知り合いだったのだが長く会うこともなく、ほぼ50年ぶりの再会だった。新婦の父に涙は?と伺ったがその気配はまったくなく終始ニコニコだった。いや、しかし、愛情深い彼のことである。家に帰ったら宴のあとの寂しさとともに娘が遠い所に行ってしまったような喪失感が襲ってきたかもしれない。
昔のような祝いの歌や踊りは今ではもう無いのだな、と思っていたら「ここはどこだ?」と思わせられる光景が飛び出した。新郎の高校時代の友人たち8名による裸のダンスである。令和の結婚式で「昭和」が飛び出した。いや、昭和の結婚式でも裸のダンスは見たことはなかった。驚き 呆然 笑い もちろん、大事な部分は隠してあるが、若い女性たちのショックはさぞ大きいだろうと思った。しかし、そのようなこともなく平然としたもの<失礼!>。8名が列を作って前の人の肩をつかみテーブルの間を練り歩くのである。聞けば、この裸のダンスは同級生のそれぞれの結婚式で披露してきたというなかなかの由緒?を持つ。今回で最後、4年ぶりとのこと。えびおじさんには春の珍事である。
話は逸れるが、以前、えびおじさんが気づいたことがある。それは、およそ20年前からだが、飲み会の場で興に乗った若者たち(もちろん、男性)が裸になる、もしくは下着姿になることだった。おそらく、裸は若者たちの究極の表現方法なのだろう。友人の祝いの席で裸を披露する心意気に頼もしさを感じた次第である。
従来、鹿児島の結婚式では「新郎新婦の門出、ご両家の繁栄を祈念して、万歳!」で締め括るものだったが、令和の今ではそれもなく、新郎とその父親の挨拶でお開きとなった。小学校の先生だった父親の語りかけるような言葉は滋味豊かで心温まるものだった。新婦を家族に迎え入れる気持ちが伝わってきた。<えびおじさん>

春まぢかの桜島と、奄美と鹿児島を結ぶ定期船