2021-04-12
この季節は気持ちがざわつくのである。すれ違う女性の髪が春風になびいたためではなく、満開の桜にえびおじさんの俳句心が動かされたわけでもない。実はソメイヨシノの季節は、えびおじさんの小さな山のタケノコの季節でもあるのだ。
えびおじさんはタケノコ掘りが好きで、タケノコの季節にゴルフに行っても、球を追うどころか周囲の竹林に心奪われてしまう始末である。
桜を愛でるのもそこそこにタケノコ山に向かう。タケノコ山は鹿児島県本土の北にある。1人では心もとないから親戚の青年と一緒である。いつもは桜の満開とタケノコのタイミングがちょうど同じなのだが、温暖化のせいか、今年の桜は早かった。タケノコも早いかと思っていたら、地面の中は簡単に温まらないようでいつもの年と同じ頃になった。
竹林に到着である。鍬<くわ>と小さな鋸<のこぎり>を手にし、タケノコを入れる竹かごを背負った姿は、かぐや姫に出てくる「竹取の翁<おきな>」である。これに駄犬<愛犬>ベリーを引き連れて「ここ掘れ、ワンワン」とさせたら「花咲かじいさん」だが、ベリーは座敷犬なのでそのような能力はない。
タケノコを発見。地面からチョコンと顔をのぞかせている。鍬で周りの土を取り除き、ほど良いところに鋸を入れる。この一連の動作は丁寧さが要求される。いい加減にやるとタケノコを傷つけてしまう。おおざっぱなえびおじさんながら慎重にならざるを得ない。タケノコは、平たい所にあったり、斜面にあったり、根っこの部分が岩に隠れていたりと条件がさまざまだ。20秒くらいで収穫できたかと思えば、20分近くかかることもある。
しかし、ためつすがめつのこの作業が、ことのほか、おもしろいのだ。タケノコを食べる嬉しさより、えびおじさんは「見つける」「掘る」のだけが楽しみなのである。狩りにおける猟師みたいなもので調理にはあまり関心がない。しかし、旬のタケノコと、木の芽・えびで、かき揚げや煮物はいかにも春の彩りでおいしそうだ。
先日の雨も手伝ってか、思ったよりも多くのタケノコを収穫できた。難題は山から運び出す作業だ。重い。そのために親戚の青年を伴ったわけではないのだが若いパワーは頼もしい。大いに助かる。もちろん掘るのも手伝ってくれるのだ。
竹の種類はたくさんあるが、孟宗竹<もうそうちく>は勢いが強く、日本の竹の大半が孟宗竹である。えびおじさんのタケノコも孟宗竹だ。孟宗竹は他の竹よりも体が大きい。物語のかぐや姫はこの孟宗竹から生まれたのだろうか。しかしこの孟宗竹が琉球から南九州に伝わったのが18世紀の江戸時代と言われる。かぐや姫の物語は平安文学だから、かぐや姫が生まれたのは孟宗竹ではなく、それ以前からの、少し細めの真竹か淡竹<またけ、はちく>なのだろう。
桜が、3分咲き、5分咲きと状況が日々変わるように、タケノコも毎日のように地面から顔を出す。放っておくと1週間も経てばメートル単位で伸びて竹になってしまう。時間が許せば毎日「タケノコ取りの翁」になって足を運べばよいのだがそうもいかない。
蛇足だが、タケノコ山のあたりは過疎の村になってしまった。今や、イノシシやシカの野生の王国である。タケノコを掘っていると、静寂の向こうからシカの鳴き声が聞こえてくる。
イノシシは、その鋭い嗅覚で、人間が見つける前に地中深くのタケノコを掘り当てる。シカは顔を覗かせたタケノコの先端部分<生長点>を食べてしまう。哀れ、人間はこの両者の活動のすき間を狙っていくということになる。
タケノコは生鮮食品である。なるべく早く処理しなければならない。里では「タケノコ料理の媼<おうな:おばあさん>」が翁の帰りを今かいまかと待っているだろう。
<えびおじさん>