ロシアとウクライナの戦争が始まったのは2022年の2月24日だが、たまたま見つけた2021年12月31日の新聞の投書欄に、ウクライナ人の母を持つ日本の小学生が、夏休みに母親と一緒にウクライナのドネツクに旅行したときの文章が掲載されていた。ドネツクでの楽しかった様子が描かれている。毎日、牛の世話をして乳しぼりをしたそうだ。ところが、最後に「今、ウクライナはロシアと関係が良くない。とても心配だ。仲良くして欲しい」と子供ながらに訴えている。同じ新聞の、4日前、12月27日の新聞も出てきた。その社説「ソ連崩壊30年」に、「30年前にソ連が消滅した。最近のロシアの動きとして、隣国ウクライナ国境に部隊を集結させ・・・」とある。
徐々に戦争が忍びよって来ていたのである。戦争は突然始まることはない。ウクライナとロシアの関係は悪化していて、この時点でもう戦争に近い状態にあったのかもしれない。思い出したのはずっと以前のインタビュー記事である。太平洋戦争を体験した母親に子供が尋ねていた。「どうして戦争をとめられなかったの?」母親は「世の中がいつのまにかそうなってしまっていたんだよ」と応えた。「いつのまにか・・・」というのが怖い。急激な変化は誰でもわかるが、水が徐々にお湯になって茹でガエルになってしまうようなことは分かりにくい。こうなっては始末に負えない。戦後、軍の責任者たちが語った戦略・戦術に関する勇ましい言葉や悔悟の言葉より印象に残る市井(しせい)の人の証言である。庶民が気づかないうちにそろりと戦争がやって来ていた。
有史以来、地球上で紛争や戦争が絶えることはない。はたして、これからもそうなるのだろうか。戦争は人間の性(さが)とも言われる。しかし、もし本能だとしてもそれを諫(いさ)める理性が人間にありはしないか。人を殺すことの残忍さに気づくはずである。
日本にとっての戦争は、太平洋戦争<第二次世界大戦>が最後である。終戦<敗戦>が1945年(昭和20年)だから既に80年も経つことになる。しかし、これだけ時が流れても傷は簡単にはなくならない。先日は、アメリカ軍が落とした不発弾が宮崎空港で爆発し、沖縄では毎日どこかで不発弾が見つかり処理されているとマスコミが報じている。また、中国での反日教育は衰えることを知らず子供たちに刷り込まれている。日中両国にとって負の連鎖がこれからも続くことになる。戦争はのちのちまで影響を及ぼす。
「平和の合間に戦争があるのではなく戦争の合間に平和がある」、「歴史は繰り返さないが韻(いん)を踏む」と言ったのはそれぞれ誰だったか。戦後80年を経て戦争とは無縁の日本だが、再び、韻を踏むことがないようにありたい。戦争に至る理由は、領土、資源、思想、民族、宗教とさまざまである。そして始めるよりも収めるのが難しいのが戦争である。
「平和ボケ」という言葉を自虐的に使う人が多いが、本来は、平和が「あるべき姿」なのだからさほど恥じ入ることはない。しかし、平和にただ浸るだけでなく、過去の戦争の悲惨さに思いを馳せ、戦争が起きた場合の悲劇について想像力を働かせるべきだ。それでなくても、地球温暖化や環境破壊、食料問題、疫病など地球の課題は多いのだから。
ようやく涼しくなってきて朝夕は寒いくらいである。さらっとした秋の雲が流れてキンモクセイが香っている。強い香りは邪気を払うという。日本からはるか遠くのウクライナもロシアも青い空が広がっているに違いない。 <えびおじさん>
芙蓉の花 仲よく並んだ姿にウクライナとロシアを重ね合わせたい。