知り合いの勧めもあって、ここ数年、昼ごはんのあとのウォーキングを心がけている。街なかをおよそ1時間、歩数にして7000歩ほどだろうか。子どものころは、食べた後は静かにして動くなと教えられたが、動く方が体に良いとの最近の医学常識である。医学常識は時代とともに変化するようだ。
ウォーキングのおかげで健康診断でのさまざまな数値はなんとか合格圏にある。体重も適正とのお墨付きをもらっている。ところで、健康を気にしているせいか、街を歩いていて気づくことがある。それは鹿児島にも肥満の人が増えてきたということである。
鹿児島の放送局に、これまでに撮りためた映像を再編集して放送するレギュラーの番組がある。その映像は60年ほど前から20年くらい前のもので、主には半世紀ほどのものが多い。農作物の収穫や、祭りに遊びなどの生活の様子、また、今はもうなくなった集団就職列車の見送り光景などである。
気づくのは、映し出された人は、皆、痩身で太った人はめったにいない、ふっくらとはしていても肥満というほどではないことである。まさか、スマートな人ばかりを狙ってカメラを向けたわけではあるまい。今と違って当時は肥満とは無縁だったのである。
肥満の人が増えたのは主に食生活の変化によるものだろう。全国どこでもそうだろうが、半世紀前の鹿児島では外食の習慣も今ほどではなく、食事は家ですますものだった。家での食事というのはこれまた質素なもので、ご飯とみそ汁そしておかずひと皿といった具合だ。今日では、これまで見たこともなかった種類の食べ物がひっきりなしに登場し日本人は競い合うようにそれを口にしている。おいしそうなものがあれば口にしたくなるのは人情だろう。要するに食べ過ぎである。
肥満は豊かさの指標なのかもしれない。GDP1位のアメリカで食べたアイスクリームは日本のそれの2倍くらいの大きさ、コーラも大容量だった。とても食べきれるものではない。かの地は肥満の人が多かった。それでも食べるのである。食べることが義務というわけではないだろうに。もし、国別のGDPと肥満が比例しているのであれば、これからは中国に肥満の人が増え日本人は少しずつ細くなっていくのかもしれない。
肥満は膝に負担をかけるだけでなくさまざまな病気の遠因である。将来の医療費を考えれば肥満は考え物だ。テレビや雑誌等でいろいろな健康器具が紹介されている。それなりの効果は期待できそうだが、ウォーキングは肥満の解消や心肺機能強化それとありがたいことに認知症の予防に効果があるとのことである。近未来的に心配しなければならないえびおじさんとしては心強い。そして、下世話な話だが、ウォーキングは身体ひとつでできるのでお金がかからないのである。使わない手はない。「ただほど高いものはない」というのは昔からの警句だが、こと、ウォーキングについては素直に受けとってかまわないようだ。
ウォーキングはそのまま街のウォッチングということになる。毎日歩いていると街の様子の移り変わりがよく分かる。デパートでは北海道物産展が始まっている。鹿児島では北の物産は大人気だ。正月用品の準備でもある。子どもたちが公園で遊ぶ姿がほほえましい。少子高齢化が進む日本の希望の星たちだ。でも、年金の財源の負担者として彼らの将来を暗くさせてはいけない、と、悩んでしまう。鹿児島市の繁華街を大勢の外国人が歩いている。外国のクルーズ船が入港しているようだ。アジア系、欧米系の人が大挙して横断歩道を渡るのはなかなか壮観だ。季節になると県外からの修学旅行生がやってくる。九州内や中国地方からが多いようだ。明治維新を学びに来るのだろう。インスタグラムで下調べをしてきたという女子高校生たちが、鹿児島名物「白くま」をおいしそうに食べている。鹿児島を堪能して欲しい。
宇検だよりが鹿児島だよりになってしまいました。 <えびおじさん>