『ちょっと、待った』
イソップ物語では、アリは勤勉な動物、キリギリスは怠惰な存在とされている。アリは真夏の暑い日もせっせと働いた。それに引きかえ、キリギリスはバイオリンを弾いてばかりいた。そのため、冬になるとエサに不自由してアリから食べ物を恵んでもらったのである。怠惰を戒める教訓話として世界中に流布している。
しかし、「ちょっと、待った!」である。キリギリスは音楽が好きでバイオリンを弾いてばかりだったかもしれないが、そのメロディは周囲を楽しませていたのではないだろうか。ひょっとしたら、アリの労働歌になっていたのかもしれない。その音楽のおかげでアリたちはリズム良く歩くことができた。そのことに感謝してアリたちはキリギリスに食事をごちそうしたのである。と、疑問を投げかけたいのだが、寓話にリアリティを求めるとジョークになるそうなので、ここではアリの勤勉ぶりを理解すればよいのである。
それにしても、アリはよく働く。まだ暗い時間に新聞を取りに行くと、玄関の前をアリが行列を成している。徹夜したのかもしれない。ワークライフバランスを無視し「働いて、働いて、働いて、働いて、働いて」いるのだ。しかし、その行列の行き先は台所方向に向かっている。勤勉さは認めるものの、食べ物を失敬しているのかもしれない。
夜を徹して鳴き続けたキリギリスたちは、空が白んできて、そろそろ休む時間である。それにしても、物語では夏に活動したことになっているが、虫の活動は秋と決まっている。温暖化で苦しむ最近の地球と異なり、当時は今よりも過ごしやすい夏だったに違いない。
『ほんとうですか?』
夏の台風は怖いが、秋台風も油断はできない。それはさておき、幼い頃に海岸の近くに住んでいたという友人の話である。台風が通過したあと砂浜に行くとお金<硬貨>が落ちているそうである。なんでも、海水浴の客が落としてしまったお金が台風の風と波で打ち上げられて砂の中から顔を出すという。理屈は分からないでもない。海岸の地形にもよるのだろう。でも、ほんとうだろうか? 友人は怖いながらも台風がやって来るのが楽しみだったそうだ。ところで、えびおじさんはと言えば、道を歩きながらついつい下を向いてしまうのである。もちろん、転ばないようになのだが?
『ほんとうでしょうね?』
山が大好きである。登山をする山ではなく里山の方である。春はタケノコ<主に孟宗竹>、秋はギンナンや柿と、山は1年を通じて恵みをもたらしてくれる。九州はクマがいないので山に入っても心配はいらない。やっかいなのはシカとイノシシである。別に人間を攻撃するわけではないのだが、山を荒らすのである。春、イノシシは、あたりかまわず掘りまくりタケノコを失敬していく。嗅覚が鋭いのだ、おそらく人間の数十倍か数百倍、それ以上かもしれない。50センチほども掘った穴があちらこちらに残っている。幸いにもイノシシに食べられずに顔をのぞかせたタケノコの先端部分<穂先>に、今度はシカが「これはうまい」とばかりに食指を伸ばす。過疎の村は彼らにとっては天国である。イノシシとシカの活動のはざまで人間が細々とタケノコ掘りに精出すのである。
秋になった。この季節、イノシシはミミズなども好物のようで、これまた、地面を掘り返す。シカはおいしそうな木の葉を見つけては嬉々としている。人間が主食のコメを求めて奔走するように彼らも食料確保に必死である。
イノシシ、シカ除けの器材がいろいろと売っている。強い匂いのする忌避剤を試してみたが思ったほどの効果はなかった。コーヒーかすの匂いが嫌いらしいというので試してみた。また、ある友人は「人間の髪の毛の匂いが効くらしい、床屋から大量にもらってきたら」という助言までくれたのだが。
意外だったのは「ラジオが良い」という情報。これはその人の体験談である。ラジオをつけっぱなしにして置いていたら効果てきめん。それ以来、イノシシは来なくなったという。人間世界の音に驚いたのだ。確かに、匂いは時間とともに薄れていく。「匂いより音!」と感心したえびおじさんである。しかし、北島三郎が好きなイノシシだったら、ひょっとして、畑で輪になって「まつり🎵」を楽しんでいるのかも知れない。
ラジオを試してみることにしよう。 <えびおじさん>

玄関のピラカンサの実 まもなくヒヨドリが食べにくる。
