活車えび宇検養殖株式会社

宇検だより

奄美の「美人画」画家 東條鉄郎さん

2018-02-27


(東條鉄郎さん)

旧暦の正月である2月16日に、養殖場の敷地で蛙が鳴き始めた。蛙が特にこの日を意識しているとは思えない。この日、これまでの北風が止んで、南風に変わり温度が上昇したのだ。南風は雨を呼ぶ。春が近い。

先日のアメリケーヌの羽山さん同様に、車えびに関心を持って下さる方がいる。

私たちの宇検養殖場の電力系統の設備のメンテナンスをお願いしている九電工の東條鉄郎さんだ。東條さんは九電工の奄美営業所の顧問という立場の方だ。つい最近まで、福岡の本社の常務取締役を務めていらっしゃった。現役を退職した今では、故郷の営業所で後進の指導に当たっておられる。

何度かお会いしてお話を聞くうちに、東條さんが、絵を描くことが趣味だということが分かった。人物画を得意とされているという。「私は美人しか描かないのです」と笑いながらおっしゃる。もっとも、技量があってはじめて、「美人画」が成り立つわけだから、その力は大したものである。私などが描いたら、せっかくの美人が台無しだ。

東條さんは、これぞと思った美人は、写真に撮らせてもらい、その写真をもとに数日かけて絵を仕上げるという。描いた絵はその人に差し上げる。大変、喜ばれるそうだ。東條さん自身はその絵を写真にして残しておく。いくつか写真を見せていただいた。なるほど、まさしく「美人画」である。

 

東條さんは昭和21年、奄美大島の笠利町(かさりちょう、現在は名瀬市と合併して奄美市に)の生まれだ。高校を卒業して昭和40年に技術者として九電工に入社した。九電工は、昭和19年に、九州各県の電気工事会社が集まってできた。福岡市に本社を置く。東條さんは、技術職で入社したあと営業職に身を置き、太陽光や風力発電などの開発・販売で活躍した。

小さい頃から絵に目覚めていた東條さんは、高校時代に思いがけない体験をする。名瀬市(現在の奄美市)に下宿して高校生活を送っていた東條さんは、週末には、実家のある島北部の笠利町に帰省する。

ある日、帰省のバスの中から外を見ていると、本茶峠(ふんちゃとうげ)のあたりで奇妙な光景に出会った。ぞうりに麦わら帽子、よれよれのランニングシャツ姿のおじさんが歩いている。炎天下、そのおじさんはスケッチブックを抱えていた。一瞬のことながら、そのおじさんが目に焼きついた。数週間後、再び出会ったのは、名瀬の街はずれ、有屋(ありや)というところだ。そのおじさんの家までついて行った。あばら家だった。「見ても構わない」と言われて、外から、絵を描く様子を見た。そのおじさんが、筆で細い美しい線をすーっと引いた。一本の線をみごとに描く姿が強烈だった。東條さんは、そのときのことを今でも鮮明に覚えているという。

そのときはそれきりだったが、十数年後、テレビを観て、そのおじさんが田中一村だったと分かった。田中一村は既にこの世にいなかった。生前はあまり評価されることのなかった田中一村だった。東條さんの見た、あの一本の線の絵はどの作品だったのだろう。

「絵は良いなあ~」と、東條さんの絵を描くことへの思いは募っていったが、忙しいサラリーマン生活のためままならず、本格的に描き始めたのは58歳の時である。それ以来、人物画に勤しんでいる。東條さんは、得意の絵で、人を喜ばすことが使命であると心得ている。

 

東條さんは車えびに関心をお持ちだ。私にいろいろと質問をされる。それならば「人物画以外はいかがでしょうか?」と、東條さんに車えびのスケッチをお願いした。動物は初めてだ、と言いながらも、豊かな表情の車えびを描いてもらった。私の机の前に飾ってある。私は、毎日、車えびの絵を拝んで、養殖場の発展を祈っている。もちろん、東條さんへの感謝を込めて、だ。(文:堀之内)

一覧に戻る→