活車えび宇検養殖株式会社

宇検だより

春の夕暮れ そして 夜

2020-03-17

いろいろなというより、日本中のほとんどのイベントが中止になっている。新型コロナウイルスの蔓延のせいである。人が大勢集まるということがいけないらしい。鹿児島市のオードリー・ヘップバーン写真展も延期となった。手帳に書き込んで楽しみにしていたのだが。新型コロナウイルスの収束はいつのことだろうか。健康への心配とともに経済や人の活動を束縛している。文明の恩恵に浴している私たちに、突然、匕首<あいくち>を突きつけているようでもある。

宇検村の公衆浴場もしばらく休止だ。広々とした風呂が大好きなえびおじさんは、がっかり。がまんのときだ。自宅での風呂を終えてぼんやりしていると、子供たちの歓声が聞こえる。子供たちは、スノボーみたいなジェイボードというものに乗っているらしい。子らの声は右から左に流れていく。しばらくすると、今度は逆に移動していく。学校は全国的に臨時休校状態だが、宇検村の小・中学校はこのほど授業を再開した。子どもたちの元気な声は周囲に活気を呼び戻してくれる。

テレビをつける。大相撲の3月場所も被害者である。無観客相撲とはなんとも無残だ。 土俵上の力士と行司、あとは周囲に関係者が数人である。お客はいない。間が抜けると言おうか拍子抜けというべきか。客がいて初めて大相撲は成り立つ。おそらく、大相撲に限らず、すべての競技がそうだろう。琴瑟相和しである。興行的にももちろんだが、闘う戦士たちも気分が乗りにくいに違いない。宇検養殖場のにわか評論家が言っていた。「土俵際の粘りが見られない!」と。観客の声援のない大相撲観戦にはえびおじさんも気が乗らなくて、夜のニュースで勝敗を確認する程度だ。しかし、おもしろいもので、ふだんよく聞こえない、張りのきいた呼び出しや力士がぶつかるときのドスンという音に、神事としての相撲に神聖なものを感じるという声もある。さてさて、テレビの視聴率はどう出るだろう。

さすがに退屈である。宇検商店に赴く。集落唯一の商店であり、最大の社交の場でもある。ただし、一日中、開いているわけではない。朝、昼、夕方の数時間ずつである。主婦たちが買い物に訪れる。子どもたちもお菓子を買いにやって来て、にぎわいを見せる。

商店に併設して小さなスペースがありテーブルが置かれている。ここで男たちの缶ビールを傾けての談義が始まる。居酒屋文化が大好きなえびおじさんは、酔っぱらって「(居酒屋のない宇検集落に)居酒屋をつくろう!」といつも叫んでいるが、このテーブルがあれば充分である。酒飲みは、場所を問わずどんなところでも酒呑みになれるのだ。

と、そこに、近所の古老が鍋を持ってきた。なんと、アバス<ハリセンボン>の味噌汁である。けさ、獲れたという。ゼラチンをたくさん含んでおり、薄味で、なんともうまい。お父さんとやってきた5歳位の女の子もおいしそうに味噌汁を啜っている。むかし、アバスは乳の出の良くない母親にとっては救世主だったという。

もうひとつ、うまいものを教えてもらった。弊社従業員の津田隆弘くんである。「魚肉ソーセージをわさび醤油で食べるとうまいですよ!」。訝(いぶか)りながらもやってみると、これがうまいのである。よくよく考えれば、魚の成分が入っているのだから、当然と言えば当然である。しかし、身近なところで新発見である。「隆弘くん、ありがとう!」と感謝の雄叫びを上げながら、また、ビールで乾杯である。

ビールが何本も空いて、村人たちの談論風発が続く。さまざまな話が出てくる。空襲で米軍の戦闘機が海の方から襲ってきて、山にぶつからないように急上昇したといった話、今はもうなくなったが、集落にも大島紬の工場がいくつもあったこと、また、かつてあった鰹節工場のにぎわいの話。今は昔である。しかし、そのような体験を持つ人たちが、今、目の前にいるのは奇遇であり稀有なことである。養殖場の仲間たちが明日の養殖事業に激論を交わす姿は頼もしく麗しい。それに加えて、私たちが体験していない昔のことに耳を傾けるのもやはり大切である。教科書には載っていない、身近な生きた歴史である。いずれ、こういった話も聞けなくなる。温故知新。過去と現在、そしてその先に未来がある。

さて、春の夜はまだ少し冷える。明日も朝早くから車えびの取上げである。そろそろ引き上げよう。             <文:えびおじさん>

ダイヤモンド枝手久  ( えだてく 枝手久島の山頂に沈む夕日    宇検集落から望む)

 

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