活車えび宇検養殖株式会社

宇検だより

ラジオ幻想

2020-01-27

 

博多の街でタクシーに乗った。運転手と話しをするのがタクシーに乗った時のえびおじさんの楽しみなのだが、この運転手がよろずのことに詳しいのである。仕事柄、博多の街については当然のこととして、政治・経済、世界の動き、芸能界と余すところなくである。運転手に訳を尋ねると、ラジオの存在があった。ラジオをつけない運転手もいるが、その運転手は、一日中、ラジオを聞いて楽しんでいるのだ。楽しみが、結果的に、情報の収集、話題の豊かさにつながっているようだ。

スマホが主流となった現在、ラジオは聞かれているのだろうか。えびおじさん世代はともかく、若い人たちの多くは「ラジオは聞かない、持ってもいない。」である。「ラジオって何ですか?」と、ラジオそのものを知らない若者に出会ったことがある。本当の話である。

えびおじさんの小さいころといえば昭和30年代だが、わが家には、電化製品といえば、電球とラジオしかなかった。テレビはもちろん、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器などは、それこそ「それって何ですか?」というぐあいだ。一部のお金持ちを除いて、地方はまずそんなものだった。電気代も安かったはずだ。電化製品が続々と家庭に入り込んでくるのはその数年後のことである。

そんな時代、ラジオは玉手箱みたいな存在だった。タンスの上に鎮座していた。父親が、畑仕事の合間、日曜日の「のど自慢」や、夜は「プロ野球のナイター」を楽しみに聞いていた。子どもたちは夕方の「赤胴鈴之助」だった。田んぼや畑、川で遊ぶ以外、子供の楽しみはなかった。唯一のしゃれた娯楽はラジオだった。

長じてからはラジオの深夜放送だ。「ながら」という言葉が生まれたのもこのころである。勉強しながらラジオを聞くのか、聞きながら勉強するのか、よくは分からないが、成績が上がるはずもなかった。関西の深夜放送がお気に入りだったが、チューニングをいじると外国の放送が流れてきた。中国や韓国の放送だった。言葉は分からなかったが、海を渡ってやって来る、遥かな国の言葉や音楽に異国を感じた。私にとって最初の異国体験であった。

「こちらは北京放送局です。」という日本語のアナウンスにびっくりしたものだ。日本の軍国時代の雄叫び調に似ていたと記憶する。そのころ中国は文化大革命の時代で、毛沢東や紅衛兵、毛沢東語録などの言葉が、しきりにラジオから流れてきた。日本との国交が結ばれる前、昭和40年代半ばのことだ。海外に自国をアピールする、中国の宣伝放送だった。当時の中国は混迷しており日本との国交はまだなかった。インドシナ半島ではベトナム戦争が続いていた。

テレビは全国にネット番組が放送され、どこも同じようなものだが、ラジオは局の違いが鮮明だ。旅に出るとき、えびおじさんは小型のラジオをバッグに忍び込ませる。ホテルの窓際に置いて、朝に夕に楽しむ。AM放送も今はFMでも聞かれ音質がクリアだ。スマホを使えばよいものを、という声が聞こえそうだが、やはりラジオ放送はラジオで聞きたい旧式の人間なのだ。

スピーディなしゃべり方に都会の洗練さを感じるのは東京のラジオだ。リズム感がなかなか心地よい。「早く出かけなきゃ、電車に遅れるよ。」出がけのえびおじさんを急かしているようでもある。

奄美のFMも大好きだ。島唄の特集は、本土よりも早く新しい曲を流してくれるし、唄者の出演もある。地元の女性タレントの方言を交えた話し方も心地よくゆったりとした時間が流れる。ラジオは、えびおじさんに、今度は、ゆっくり歩けと言っている。

ラジオは歴史上も重要な役目を果たしてきた。ルーズベルト大統領の炉辺(ろへん)談話や、終戦の玉音放送などがそうだ。もちろん、えびおじさんはまだ生まれていないから歴史上のことだ。戦後のラジオは、新聞や映画とともに、情報や娯楽を一手に担ってきた。これらは、現在進行形で体験してきた。時代の空気をラジオで感じ取っていた。

最強の映像メディアはなにかと問われて、ラジオと答える人がいる。ラジオを聞いて、脳裏にくっきりと映像が立ち上がってくるからという。なるほど、納得である。

つけ足しながら、えびおじさんにとって、一番、印象的なのは、ラジオを聞いてではなく、ラジオが登場する光景である。昔の海外の推理小説の本の中なのだが、雪の夜、部屋のラジオが伝えるには、逃亡した殺人犯が近くにやって来ているらしい。そして、夜中にかけてさらに雪が激しくなるとラジオは伝える。部屋の緊張が徐々に高まっていくのである。えびおじさんの脳裏には、行ったこともないロンドン郊外の雪の一軒家の光景が浮かんできた。ラジオしかない古い時代の話である。

スマホ主流のご時世に、先日、知り合った大阪の若者はよくラジオを聴いているという。なんでも、上方のタレントの話芸がこのうえなく巧みで、各局競い合って、百花繚乱の風情なのだそうだ。

情報の多様性、想像力の醸成、言葉のおもしろさなど、ラジオはまだまだ捨てがたいメディアだ。もちろん、昔ながらのラジオで聞くもよし、スマホで楽しむもよし、である。<文:えびおじさん>

宇検村の春 満開のヒカンザクラ

 

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