活車えび宇検養殖株式会社

宇検だより

年の始めは、素直な気持ち♪

2020-01-16

 

「桜島のような字を書かれますね。」以前、ある人に誉められた。ふるさとの山に例えられて良い気分になった。しかし、それは私の勘違いだった。誉め言葉ではなかった。桜島はカッコよくも、荒々しい山だ。裾野には溶岩が隆々と広がっている。しょっちゅう爆発するため登山禁止だ。世界有数の活火山なのだ。そのような山に例えられる私の文字はおよそ想像がつかれると思う。美しい文字なら流麗な形の富士山に例えられよう。

そんな文字しか書けないから、年賀状を書くこの時期はかなり苦痛である。かといって、印刷だけで済ますのも味気ない。宛名と添え書きは差出人の心意気と心得て自筆で励んでいる。

苦手だから取りかかるのが遅いし何度もなんども休憩ということになり、毎年、越年する。紅白歌合戦どころか、正月の、のんびり番組を見ながら、まさしく「今年もよろしく」と書いている。年賀状は、本来、松の内に書いたという説もあるから、あながち間違いではない、と自身を慰めて正当化している。

上手な文字の年賀状をいただくとため息が出る。「ああ、すばらしいなあ、こんな字を書けたらなあ。」と心底思う。

脳裏に浮かんだのは、あの「令和」の文字だ。去年の春、官房長官が高々と掲げた、あのきりっとした文字である。書体は何というのか調べてもいないが、あの文字をイメージしながら年賀状に臨んだ。しかし、しょせんは浅知恵。思いがそのまま形につながるはずもなく、やはり「個性豊かな」いつもの文字になってしまった。自己嫌悪に陥るばかりである。

なにせ、ふだんはパソコンで文章を済ませており、極端にいえば、万年筆を持つのはこのときの年一回である。練習不足なのだからうまく書けるはずもない。文字のうまい人は、それこそ、何年も修練を重ねたわけで、にわか書き手の私などとは取り組む姿勢が異なる。年賀状を書くのも速いし、だいたいが書くこと自体が楽しくてしょうがないのだろう。

この時期になるといつも「一念発起して、ペン習字に通おうかな」と思うが、人に教わるというのが、これまた苦手で、これまでにあらゆる勉強の誘いを断り、上達の機会を逸している。もし、誘いを素直に受けていれば、今ごろは、ゴルフも、俳句も、七宝焼きも師範クラスになって後輩に教えている ( かも知れない ? 笑 )  。座禅の誘いも断った。ゆえにまだ悟りの境地とやらに縁がない。

あらゆることに我流である。しかし、我流でやってもたいていはろくなことにはならない。俳句などは、お互いを楽しく批評するところに上達があるという。素直に教わる、素直に人の言うことを聞く。今年の目標である。

と、人生の仕切り直しを掲げたが、この飽きっぽい性格が直るものだろうか。来年も同じことを書いていそうな気がしてならない。<文:えびおじさん>

寝正月

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