活車えび宇検養殖株式会社

宇検だより

モンゴル旅行

2018-11-07

養殖事業とはまったく関係ないが、たまたま機会があってモンゴルに行ってきた。9月のことである。モンゴル単独横断紀行というような大それたものではない。ツアー旅行企画への参加である。

モンゴルは、日本人にとって韓国や台湾ほど名の知られたところではない。だからと言うべきか、馴染みがない分だけ好奇心をくすぐったのかもしれない、ツアーは満員だった。若い人はあまりいない。40代から60代が多い印象だ。男女の割合はほぼ均等である。話をしてみて分かったのは、旅慣れた人が多いということ。年に2回は海外に行くという4人組や、これまで、シルクロードに10数回、足を運んでいる人などである。パスポートがまっさら(まっ白)な私は、じっとおとなしくしているしかなかった。

まだ真夏のような鹿児島空港を夕方出発して、夜10時頃モンゴルに着いた。さすがに寒い。息が白い。それもそのはず、緯度は北海道より高いのである。しかも大陸の内陸部である。時刻は日本より1時間遅い。

モンゴルに関する知識はあまり持ちあわせていない。大相撲のモンゴル勢の活躍やモンゴル帝国を打ち立てたチンギス・ハーンについてぐらいだ。そのチンギス・ハーンの存在の大きさに驚いた。到着したウランバートルの空港はなんと「チンギス・ハーン国際空港」である。800年も前の人なのだが、今もっての英雄ぶりがうかがえる。そのほか、いろいろな場面で登場する。国会議事堂前の広場がチンギスハーン広場、建物の正面に大きな銅像がある。菓子の箱のデザインや皮細工のデザインにも登場する。

それと、これは、前々から感じていたのだが、すでに引退している大相撲の朝青龍と肖像画のチンギス・ハーンの顔が似かよっているのはどういうことだろうか?さらに驚かされるのは、街なかでも、この2人に似たような人をよく見かけることだ。男性に限らず、女性もだ。学術的な知識は疎いが、この顔だちはひょっとしたらモンゴルの人たちの典型なのかもしれない。歩いている人たちが、背が高くてがっしりした人が多いのにもびっくりだ。大相撲で活躍するのもうなずける。昔からそうなのだろうか。高度な兵器もない時代に世界征服をなし得たのも恵まれた体があったからこそだろう。

この体格の源は、羊、馬、山羊などの肉だろうか。その羊の肉はさまざまに形を変えて、私たちの食事に登場した。ある日の昼食には骨付きラムの煮込みだった。私は、パクチー(香菜)など、植物の臭みはまったく苦にならないのだが、このラムの匂いにはかなり抵抗があり箸が止まってしまった。しかし、参加の皆さんは、独特の匂いにもめげずほぼ完食だった。

モンゴルは、広い国土の割には人口が320万人とさほど多くない。そして、その半分が首都のウランバートルに集中している。国土の大半は草原地帯だが、ウランバートルはビルが林立する大都会である。走っている車は日本製が大半を占めている。ところが、街の周辺にはゲルが見えたりしてマンション群との奇妙な取り合わせがある。マンションに住んでいる人が週末にはゲルで過ごすとも言われる。別荘の意味もあるのか。それとも、ゲルが懐かしくて、ふたつの住居を行き来しているのだろうか・・・

雄大な草原の国モンゴル。車で数時間走っても草原が途切れない。ずっと同じ風景である。狭い日本のように、めまぐるしく風景が展開されるわけではない。緩やかな丘陵地帯、空が高い。雲がゆっくり流れていく。野生の馬が群を成して水を飲んでいる。馬に跨(またが)った牧童たちが羊や牛たちを先導している。奥地では狼もまだ健在らしい。大相撲で多くのモンゴル出身力士が活躍し、その天真爛漫?で、時に大胆な言動がしばしば物議を醸す。しかし、このような大らかな大自然で育った人たちに、こまごまと日本の慣習を要求するのは酷なことかもしれない。

ところで、私たちが乗った飛行機はモンゴル航空(MIAT)の双方向のチャーター便で、私たちと入れ替わりにモンゴルからの客が鹿児島にやって来た。彼らの目的のひとつは、桜島とともに雄大な海を眺めることだった。充分楽しんで、お土産満載で帰国の途に着いたと聞いた。もし、また、鹿児島訪問の機会があったら、ぜひ、奄美大島まで足を延ばして欲しい。きれいな宇検の海に足を浸し、黒糖焼酎を飲みつつ、活き車えびの天ぷらや南国のフルーツに舌鼓を打ってもらいたい。私たちの宇検村は「奄美大島の奥座敷」と言われて愛されている。一方、海がなく四方を国々に囲まれた草原の国モンゴルを、私は「東アジアの奥座敷」と勝手に呼んでみた。

注) ゲル 主にモンゴル高原に住む遊牧民が使用する、伝統的な移動式住居のこと。

(文:えびおじさん)

牧童たち  まだ幼く、9歳と5歳とのこと。

モンゴル相撲

ウランバートル市内

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