活車えび宇検養殖株式会社

宇検だより

愛すべき駄犬

2018-04-02

今年は戌年(いぬどし)ということは前にも書いた。私の家にも犬がいる。駄犬「ベリー」を眺めていると、いくつか思うことがある。

犬はしっぽを振る。うれしいとき、の表現である。ご飯の時、ご主人様が帰ってきた時などだ。これに人間はころっとだまされる。擦り寄ってくる犬は可愛い。「愛(う)いヤツじゃ」ということになる。

実際、私は、このしっぽ振りは、人間に取り入るために、先の方だけ適当に振っているのかと思っていた。ある時、その左右に振っているベリーのしっぽを触ってみた。ところが、なんと、根元のほうから懸命に振っているのだ。力強く。取り入ろうというより、ご主人に会えてうれしい、ご主人を喜ばせようという気持ちなのだ。嗚呼(ああ)、また、一段といとおしくなってしまった。そう思っていた自分が恥ずかしい。ただ、妻の時の方が、振りの幅が大きく感じられるのは気のせいだろうか。犬は賢い動物だ。家庭内の力関係をよく理解しているのだ。冗談はともかくとして、犬は人間の愛情が分かり、人間が喜ぶ様子を見て、犬もうれしいと思うらしい。犬のほうが一枚上手である。

犬にも多くの種類があり、さまざまな顔がある。カッコいい顔立ちの犬もいれば、恐い顔、可愛いのもいる。ブルドッグなどは、愛嬌があるが、姿かたちはそれほど美しくない。しかし、第二次世界大戦で連合国を勝利に導いた英国のチャーチル首相が、その顔つきからブルドッグ宰相(さいしょう)と呼ばれていたとこともあり、ブルドッグは大いに貫禄を感じさせる。

一方、駄犬「ベリー」はミニチュアダックスフンドである。ルーツはヨーロッパで、狩猟犬だったという。しかし、足の長さ(短いのだ)からすると、にわかには信じ難い。獲物を追いかけて、狭いほら穴などに巧みに出入りしたという。これは、私の布団の中に入ってくる様子などから、納得できる。

ペットは飼い主に似るという。私同様、人見知りをし、恐がりで、芸もほとんどない駄犬なのだが(何度も書くとベリーから怒られそうだ)、顔つきは端正なのだ。妻と私と一緒に並ぶと、この犬の方がよっぽど賢そうに見える。穢(けが)れを知らない純粋な瞳(私たち人間ほどには、世の中の悪い部分を見ていないだろうから・・・)、高い鼻。ゆったりとソファーに座る姿は心なしか貴公子の風情だ。今にも、言葉を喋り出しそうだ。

以前、動物病院に行ったとき、たまたま、ペットの犬の死に出くわした。横たわっている犬の横で、家族が涙を流している。「何もそこまで。ペットじゃないか」とその時は思った。しかし、今、こうやって、犬が家族のようになってしまった。その時がいつ来るか分からない。ベリーも今やいい大人だ。私が先か、犬が先かと、時々ふっと思う。もし、犬が先だったら、私も泣きじゃくるかもしれない。  (文:堀之内)

 

 

 

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